髪を撫でる柔らかな感触で意識が浮上した。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
西向きの窓の向こう側も、この部屋も、濃いオレンジ色に染まっていた。


愛うらら


「なぁ、それ何語?」
ベッドに寄りかかって、何だか難しそうな分厚い本を捲る獄寺に声をかけた。
「イタリア語」
本から目を離さず彼は答えた。
「アルファベット並んでっから英語かなって思ったけど…どーりでオレが読めないわけだ!」
「てめーは英語も読めねーだろ」
「あ、バレた?」
そう言って笑ったら、アホ、と一言言われた。やっぱり本から目を離さずに。
獄寺の横に寝転がりながら、オレも獄寺から手にしていた雑誌に目を戻す。
うーん、ちょっと飽きた…。
普段スポーツマガジンくらいしか読まないオレは、この手のファッション雑誌はぱらぱら捲るだけで充分なのだ。
1枚1万超えするシャツなんて買えるかよ。

雑誌を閉じ、そのままの寝転ぶ体勢で部屋を見渡した。
獄寺の部屋は無機的だ。
コンクリの壁や、パイプベッド、ガラステーブルなどの色のない物が部屋の大半を占めているからだろうか。だからそんな気がする。
だってそれ以外はほとんど何もないのだ。
本当に必要最低限の物しか置いていない(アクセはじゃらじゃら必要以上につけるくせに)。
オレやツナの雑然とした、それでも人がここで生きているという温かな部屋の空気は、ここからは感じられなかった。
とにかく生活感が感じられない、何となく冷たい部屋だ、と初めてこの部屋に入った時に思ったのと同時に、それが獄寺らしい、とも思った。
もう数えるのもバカらしいほどこの部屋には来たけれど、今でもその感想は変わらない。

壁にかかる時計が規則的に時を刻む音と、時折、獄寺がページを捲る音だけ聞こえた。






目を覚ますと、真っ先に飛び込んできたのは空の赤と同化したような部屋の色だった。
……あ。オレ寝ちゃったんだ。
窓から入り込む夕日のせいで、壁も、色のなかった家具も全てオレンジ色に染まっていて、オレは目を細めた。
体を動かさず目線だけを上にずらすと、獄寺が先程までと同じ体勢で本を読んでいた。
ただ、無意識なのだろうか、本に目をおとしたまま、獄寺の左手は側で眠ってしまったオレの髪を優しく梳いている。
それはとても心地良くて、そして狂おしいほど愛おしく大切なことのように感じた。
彼もまた、濃いオレンジ色に染まっていた。

静かに響く秒針の音と、徐々に赤みを増す空間の色が時間の経過を告げていた。
眠りに落ちる前と変わらずに側に居る獄寺。
髪を柔らかく擽る長い指。
なんだか急に胸がぎゅっとなって、わけもわからず泣きたくなった。

「おまえ起きて……って何で泣いてんだよ」
視線に気付いた獄寺がオレを見て軽く驚いた。
「あー……」
とりあえず「へへっ」と笑ってみると、獄寺は訝しげに眉を寄せた。

「なんかさぁ…幸せだなーっと思って」
「はぁ?」
「目が覚めても獄寺が眠る前と同じように側に居てくれて、それが当たり前みたいに感じて、だから幸せだなーって思ったら何だか泣けてきた」
目を閉じると、また涙が一筋零れた。
「すげー幸せだと泣けてくるのな」
そんなこと知らなかった、と独り言のように呟けば、 一瞬、目を大きく見開いた獄寺は、それから口元を押さえて小さく「…アホか」と言った。
夕日のせいで全てがオレンジ色に染まっているからわからないけれど、彼の顔は真っ赤になっているに違いない。
そんなことまでオレはわかるのだ。


色んなことを知った。
獄寺が淋しい部屋に住んでいること。
そこは少し冷ややかな感じがすること。
でも、夜が来る前のほんの一時、その部屋は温かな夕日の色に包まれること。
話しかけるとそっけなくてもちゃんと返事をくれること。
悪態をつくけど、本当は優しいこと。
その指が長くしなやかなこと。
意外にも本好きなこと。
2人でいるときの静寂が心地良いこと。
獄寺が、変わらず側にいてくれること。
オレが、心底獄寺を好きだということ。
それから。それから…。

こうやって、オレは獄寺を少しずつ知る。
今までも。これからも。ずっとずっと。




少し乱暴に、獄寺が涙の痕を拭った。
寝転がったままのオレの顔に、獄寺の陰が覆う。
彼の顔が近づいてきて、ついばむようなキスを1回だけした。
少し顔を離して、お互いちょっと笑った。
夕日に照らされた獄寺の顔はとても綺麗だった。














end.