one rainy day





ばたばたと激しい音を立てて雨はアスファルトを叩いている。
道路にはもうそこかしこに深い水溜りができ、この雨のせいでひっきりなしに小さな飛沫を上げる。
道端の草むらからは溺れそうになったミミズがアスファルトに這い出していて、雨が上がったらたくさんの干からびたミミズの死骸が、今度は水溜りの代わりに地面に散らばるのだろう。

風はなかった。
湿気を大量に含んだ空気はじっとりと重く、汗と一緒に肌に張りついた。

雨のにおいに混じって、濃い緑の薫るにおいがする。






「今日も雨かよー…」
拗ねたように唇を尖らせて山本が言った。
「もう今日で5日連続だぜ!信じらんねー!…くそー…また筋トレかぁ…」
最後の方は机に突っ伏したため、ほとんど声が消えていた。

この野球バカは、この連日の雨のせいでグラウンドでバットを振ることができず腐っていた。
いつものノー天気野球バカではなくヘコみ野球バカ山本に缶コーヒーを飲みながら、ご愁傷様、と厭味たっぷりで言ってやると、
突っ伏していた腕の間から山本は恨めしそうな目でオレを見て、それからまたバタリと突っ伏した。
お優しい10代目は苦笑いしながら慰めの言葉なんぞかけている。バカにはそんなの必要ないですって。

いつもとは違いオレたちは教室で弁当を食っている。
他のクラスメイトもこの雨のせいで、ほとんどが教室に留まっていた。
独特の熱気が教室にこもっていて、さらに暑く感じる。
窓は薄く開けているがこの熱気を逃がしてくれそうにはない。
せめて風が吹いてくれれば。
日本独特のこの湿度には、きっと慣れることは永遠にないだろう。
何て不快な暑さ!
…あ〜…イライラする。


「山本〜!」
教室に野球バカを呼ぶ声が響く。
クラスの奴らと他のクラスの奴らが10人くらい集まっていて、教室のドアから山本を呼んだ。
「今日の体育館割り当て2年だぜ。バスケしねー?」
さっきまで空に向かってブツブツ文句を言っていた山本の顔がパッと輝いた。
「おー。行く行く!ちょ、待ってて!」
急にテキパキと弁当を片付ける山本に、簡単なヤツ…それによくもまぁこのクソ暑い中バスケなんぞ、と呆れて見ていると、 「お前たちも行かねえ?」
と誘ってきた。
マジでバカじゃねぇの?ただでさえ暑くて死にそうなんだ。バスケなんてやってられっかアホ。
乱暴な言葉で返したが、山本はただきょとんとした顔をし、 それから「ツナはどーする?」と10代目に話しかけた。
…うわ。無視かよ、ムカツク。

「山本ー?行かねーのかー?」
山本を促す声が聞こえ、「オレもいいや。楽しんできなよ」と10代目は慌てて言った。

「そっか?じゃあ後でな!」と言って山本は集団の元に走っていった。
楽しそうな笑い声が廊下に響いて、それは徐徐に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
代わりに教室のガヤガヤとした騒音と、激しい雨の音が聞こえ、さらにイラついた。


山本は男女問わず好かれている。(言っておくがオレは認めてなどいない。)
スポーツ万能で顔もそこそこ良く、女にもモテる奴なんてのは大抵同性からの妬み嫉みがあるものだが、そこは彼の性格の成せる業だ。
そんなものは彼の周りからは欠片も見つからない。
彼のそのひょうきんさとか、穏やかさ、計算がなく裏表のない真っ直ぐな人格は、彼に人を吸い寄せ集める。
彼の周りには自然に人が集まり、バカらしくなるほど平和な光景が溢れているのだ。
山本が(認めたくないが)ファミリーに入って少なからずオレや10代目と一緒にいる時間は増えたが、その光景は変わることはなかった。

それがまた、癪に障る。
なぜ癪に障るのかは自分でもわからないのだけれど。




放課後、オレは誰も居ない薄暗い教室でタバコをふかしながら10代目を待っていた。
なんでも中間テストの数学で赤点を取ったヤツらと居残り補習があるとやらで、彼は1時間前から数学教室に閉じ込められている。

雨はまだ止む気配をみせない。
うだる様な暑さもまだ続いている。
生徒で埋まっていた先ほどの教室よりは幾分マシだったけれど、やはりまだこの蒸し暑さはツライ。
開けた窓からは雨音に混ざり遠くから吹奏楽部が練習する音や、雨のせいで校内をランニングしているのだろう、運動部の掛け声が聞こえた。
よくやるぜ。この頭が沸くほどの暑さの中。こんな日に数学の補習なんて10代目もお気の毒に。

「あれー?獄寺!何やってんだー?」
突然、間の抜けた声が教室に響いた。
驚いて振り向くとジャージ姿の山本がずかずかと教室に入ってきた。
「てめっ…驚かすんじゃねーよ!」
と怒鳴ってはみたが、相手は山本。暖簾に腕押し。
あ、わかった、オレが筋トレ終わんの待っててくれたんだろー、などとほざく始末。頭が痛い。
アホか!テメーを待ってたんじゃねぇ!10代目を待ってるんだよ!と返せば、何がおもしろいのか山本は、あはは、と笑った。
こいつの思考回路はアホすぎて全く理解不能だ。
オレがどんなことを言ってもニコニコと笑っている。
「ツナ数学の補習?オレ、そのテスト1点差で赤点じゃなかったんだよなー。すごくね?」
「バーカ。自慢になんねーよ。むしろ恥じれ。」
山本は「アハハ獄寺厳しいのなー」とまた笑った。

「じゃあオレも待ってよーっと。」
そう言って山本はオレの向かいの机に腰を下ろした。


さっきから山本はずっと1人で喋り続けている。
それでよー宮城が…あ、C組のヤツなんだけど………そんで後輩の安田が………E組の塩崎って知ってる?そいつがさぁー……
山本の話すことは全てどうでもいいことだった。
たわいのないことばかりだ。
オレはうんざりして聞いてるんだか聞いてないんだかわからないような生返事を返すが、当の本人はそんなこと気にもしないで話に夢中になっている。
…なんでオレはあの時追い返さなかったんだ。と、今さら自己嫌悪してみる。いや、今からでも遅くないか?
それにしても、山本の話に出てくるヤツは皆オレの知らないヤツだった。
改めてコイツの交友関係の広さを思い知る。
どれだけのヤツらがコイツを慕っているのだろう。
どれだけのヤツらにコイツは心許しているのだろう。

暑さとか、話のくだらなさとは違う苛立ちが再び頭をもたげた。
驚くほどの速さで、その苛立ちは身体中に伝染する。
今日も昼休みに感じた ――山本がオレたち以外の奴らと一緒にいる時に感じる―― 苛立ちにそれはよく似ていた。




そこまで思って、あることに唐突に気付いたオレは慌てた。
いきなり1人で動揺したオレに、(こんな時だけ)目ざとく気付いた山本が「どうした?」と聞いてきた。
その問いに答える余裕もないほど気が動転していた。

まさか。まさかまさかまさか。

そんなことあるわけがない。よりによってコイツに。
何かの間違いだ、冷静になれ!と自分に言い聞かせ、先ほど唐突に気付いた事実を打ち消そうと試みる。


「獄寺ぁ?どーしたんだよ。お前、顔真っ赤だぜ?」
のぼせたかー?と下から覗き込むようにしてきた山本と目が合う。
今、自分の思考全てを占めているヤツの顔が急に至近距離に現れて、本当に心臓が止まりかけた。
反射的に後ろに重心をかけたが、忘れてた、オレは今机に座っていたのだ。
体を支えようとついた手は、もちろん空を切った。

重力に引きずられ、オレは盛大な音を立てて机から落ちた。

周りの机や椅子も巻き込んで派手にぶっ倒れたオレを山本は慌てて助け起こした。
一瞬息が止まったほど体を強く打ちつけたため、オレはすぐに立ち上がったり、山本に強がったりすることはできなかった。
…何やってんだオレ…。
床に座り込んで痛みが治まるのを待つ。
ふと顔を上げると、心配そうな顔をした山本がすぐ傍でしゃがんでいて「大丈夫か?痛むか?」と聞いてきた。

さっきより一層強く雨音が聞こえる。
それに比例して教室も薄暗さが増した。

何も答えないオレに山本は眉を寄せて「そんな痛むなら保健室行くか?それとも保険医のおっさん呼んでくる?」と再び訊ねた。
確かに打ちつけた箇所はまだ鈍く痛むが、そんなことはもうどうでもいい。
きっとオレはこの暑さで頭がヤられたんだ。
でなきゃこんな考えはおかしい。こんな感情が湧き出るはずがない。

たぶんシャマルを呼びに行こうとしたのだろう。
立ち上がろうとした山本の手首を咄嗟に掴む。
昼間、オレが苛立ちをぶつけた時のようなきょとんとした顔で山本はオレを見た。


暑さのせいとか、この湿った空気が悪いとか、長雨で気がおかしくなったとか、必死に今の自分の感情を否定する言葉を探すが、どれも宙に浮いては分散していった。
相変わらずオレは山本の手首を掴んでいたし、相変わらず山本は不思議そうにオレを見つめている。
山本を掴んでいる掌が、じっとりと汗ばんだ。

この行動の意味を、自分の感情を説明することは諦めた。
問題は、次、オレがどうしたいのか、ということだけだった。






もう少しすると、この雨も弱くなり、雨雲は去って本格的に眩しい夏が来るだろう。
緑は強い陽射しを受け、それに負けまいと一層濃い香りを発し青々と茂るに違いない。

けれどその前に。
強い光で全てを暴かれる前に、この苛立ちを消したいと思った。



何かに祈るようにそう思って、彼を握る手に力を籠めた。







end.