rhapsody in blue  ―1―



手の中には古い野球ボール。
あいつ、山本が死んだ3日後、10代目はそれを何も言わずにオレに手渡した。

汚れてボロボロになったそれは、ほとんど身一つでイタリアに来た山本が持ってきた、数少ない持ち物の1つだった。
「汚ねーな、何だそれ。捨てちまえよ。」とオレが言うと、
「そんなこと言うなって。これ、オレの宝物なんだよ。」と少年のような笑顔で言った。
初めてホームラン打ったときのボールなんだと、聞いてもいないのに教えてくれた。





















高校2年の夏の終わり、オレは山本と寝た。
まだ夏の暑さがしぶとく残っていて、夕方の空は恐ろしいほど赤かったのを憶えている。

その日は珍しくオレの部屋にみんなが遊びに来ていた。
何故かアホ牛も来ていて、例外なくオレを怒らせ、例外なく最後にはビービー泣き喚き、例外なく10代目が必死にアホ牛を宥めていた。
「ご、ごめん!獄寺くん!もうランボ連れて帰るね!」と10代目が言ったので
そんな!大丈夫ですよ!と慌てたが、結局彼は泣き止まないアホ牛を連れて帰っていってしまった。

「あーあ。お前が容赦なく殴るから。」
のんびりと笑っている山本をギロリと睨みつけ、お前も早く帰れ!!と怒鳴るも
「いいじゃねーか。久しぶりなんだしよ。」と、ヘラリと笑った。

山本はオレたちとは違う、野球の強豪校に通っていたのでこうして集まれるのは多くても月に1,2回程度だった。

2人何をするでもなく、同じ空間にいる。
本当に久しぶりだ。
山本はオレの座っている(正確に言えば寝転んで1人で占領している)ソファの下に腰を下ろしてペラペラと雑誌を見ている。
オレはといえば、山本のうしろ姿を見ながら、あ、こいつまた陽に焼けてる、とか、そういや甲子園…確かベスト8だったっけか、とか、まぁそんなのどうでもいいけど、とか本当にどうでもいいことをぼんやりと思っていた。

ふと山本が雑誌から顔を上げ、窓に目を移した。
それからオレの方を向き
「すげーよ。見てみろよ。めちゃくちゃ空が赤い。」
と言って目を細めて笑った。
「外も、この部屋も、獄寺も、全部、めちゃくちゃ赤い。」






それを人は衝動と呼ぶんだろうか。
オレの中の激情だとか、欲望だとか、とにかく色々なものが混ざり合い、爆発した。

フローリングの床に突然押し倒され、強か頭を打った山本は短く、潰れた蛙のような声で呻いた。
そんなことお構いナシに山本の首に噛み付くと慌てて抵抗し始めたが、しばらく攻防を続けていると、突如山本はふっと力を抜いて、笑った。


始まりこそ衝動だったが、それ自体はひどく穏やかな交わりだった。

部屋は夕焼けをそのまま取り込んだように真っ赤で、オレの下にいる山本も、まるでその赤に染められたようだった。
赤い山本が焦点の定まらない目でオレを見て微笑む。
山本が血の海の中を漂っているようで背中がゾクリとした。

開け放った窓からは、絶えず車の音や子供たちのはしゃぎ声が聞こえ、遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。
それらの音が薄い膜1枚隔てたところから聞こえるようで、まるでこの赤い空間は日常から切り取られたようだ、と獄寺は思った。
窓の外も部屋の中も同じように赤いのに、別世界のようだった。

オレにはその時、この部屋の赤と山本が全てだった。






オレたちの関係は特に変わることはなかった。
オレたちはほとんど会わなかったし、会えば会ったでケンカしたし、何よりもあの赤い部屋で見せた顔を山本はそれから1度も見せることはなかった。
いつもの、完璧に健全な少年の顔だった。




どういう過程で山本が野球から遠ざかったのかは知らない。
だけど高校を卒業して、オレや10代目より数ヶ月遅れてイタリアにやって来たあいつが
「マフィアごっこ、仲間に入れてくれよ」と笑った顔から、白球を追いかけている少年の顔ではなく、あの赤い部屋の中で見た山本の顔をオレは見た気がした。

その時、オレは思ったのだ。覚悟をしなければと。














そこまで想い出して、オレは左手で顔を覆ってため息をついた。

何を今さら。
もう、10年も前の話だ。