それから彼の音沙汰がないまま月日は流れて、卒業間近の2月になった。
刺すような風から身を守るようにマフラーに顔を埋め、制服のポケットに手をつっこんで少し前かがみになりながら歩いた。
白い雪がうっすらと地面にも家々の屋根にも降り積もっていて、空を見上げると低い位置に垂れ下がった灰色の雲がどこまでも続いていた。
自分が吐き出す息すらも白くて、色というものがこの世から消えてしまったような寂しさが町中に流れているような気がした。

こんな時期になっても、オレはまだあの答えをちゃんと導き出せないでいた。
バカなりに頑張ってはみたのだが、これといって自分の納得できる選択肢は見つからない。
ツナや獄寺にも何となく会いづらくて、何だかんだ理由をつけては誘いを断っていた。
彼らはどんな将来を選択したのだろうか。


大通りを通り過ぎて路地に入ろうとした時、後ろから腕を強く引っ張られた。
驚いて振り向くと、悪戯が成功して満面の笑みを浮かべているディーノがいた。
「よう。今回は驚いたろ?」そう言って片目を瞑ってみせた彼に、一瞬で心が温かくなる。
「お前、柄にもなくしかめっ面であるいてたぞ。すれ違ってもオレのこと気付かねえしよ」
今度は拗ねたような顔になる。
相変わらずくるくると変わる素直な彼の表情は、オレをひどく安心させる。
「はははっ、酷えなあ。柄にもなくってなんすか。それにしても久しぶりっすね」
「だな。半年振りくらい?ていうか、話しはカフェにでも入ってからにしね?オレ、寒くて死にそう」
そう言って盛大なくしゃみをした彼にオレは大笑いして、それから今来たばかりの道を今度は2人で引き返した。

普段オレが入らないような小洒落たカフェの、その一番奥の席に座り、かわいい店員の女の子に2人分の温かいドリンクをたのんだ。
彼は運ばれてきたコーヒーを少しも冷ますこともせずいきなり口をつけたので、やっぱりというか、彼は舌を火傷して、慌てたついでにオレの方に向かってコーヒーをテーブルにぶちまけた。
うわっ、と言いながらオレは咄嗟に持っていたカフェオレと一緒に席を立って難を逃れた。オレの反射神経ってホント凄い。と褒めてみる。
さっきの女の子が急いで布巾を持って「大丈夫ですか?火傷しませんでしたか?」などと言いながらテキパキと処理していって、その間ひたすら彼は彼女に謝っていた。
もう1杯、代わりのコーヒーを頼んだ彼は、ずっと笑いっぱなしだったオレを恨めしそうな目で見た。
「オマエ笑いすぎ。何か腹立つなー。コーヒーお前にかかればよかったのに」
「うわ、八つ当たり?いい大人がみっともないっすよー」
彼といると、こんなやり取りすらも特別に楽しかった。
彼とはずっとこうして続いていたいと、漠然と思った。


しばらくくだらない話しをして笑っていたが、突然彼は話題を変えてきた。
「ツナと隼人は卒業したらすぐにイタリアに来るってよ」
「………そっか。」
カフェオレの入ったカップを見つめながらオレは答えた。
何となくそんなような気はしていた。
ツナは親父さんもボンゴレの関係者だったし、彼自身ボンゴレの血も少なからず継いでいる(らしい)。(オレは良く知らない)
獄寺はツナの行くところにはどこへでもついて行くだろう。それこそ自分の生きる道だと迷いも疑いもせずに。
それはオレを寂しくはさせたが、何の疑問も持たずにストンと胸に降りてきた。
しかし次の彼の言葉はオレを酷く動揺させた。
「あいつらがイタリア行ったら、オレもきっと日本には来なくなる」
ドクリと心臓が鳴ったのがわかった。
「オレが日本に来るのは何かしらツナやリボーンへの用事だったからな。実はさっきまであいつらと今後の打ち合わせをしてた。
 あいつらがイタリアに来ればオレが日本に来る理由はなくなる。」
きりっと胸が痛んで、ツナや獄寺たちに感じたものとは違う、不思議な寂しさがオレを覆って、何も答えられなくなった。
彼はオレに答えを求めなかったし、お前もイタリアに来い、とか、日本に残るのか、というようなことも言わなかった。

お互い黙っていた。
どのくらいそうしていたかはわからない。
彼はずっとオレを見ていた。
そして、オレはなんとなく気付いた。
彼が、ディーノさんが、オレと寝たいと思っていることに。
彼のその視線や、顔の感じ、雰囲気などが、なんとなくそう思わせた。

「オレ、肉じゃが食いたい」
唐突に彼が言った。
「山本の作った肉じゃが食いたい」
「ディーノさん、もっと良いモノいくらでも食えるじゃん」
「そうだな。最高級の肉を使ったステーキだって、世界3大珍味だっていくらでも普通に食えるぜ」
「うっわ厭味」
お互い小さく噴出した。
「…………じゃあ今から作りに行こうかな」
オレは言った。
「絶対アンタはキッチンに立つなよ。後片付けもオレがする。ただし材料費と食後のお菓子代はアンタな」
てっきり笑うと思ったが、彼は真面目な顔で「いいのか?」と聞いてきた。
なのでオレも「いいよ。」と真面目に答えた。

それは何だかもう、「セックスしてもいいのか?」「いいよ。」というやりとりと同じ意味を持っているように思えた。



スーパーでこの前と同じ材料と少しの菓子を買い込んだ。
ホテルまでの道はお互いずっと何も話さなかった。
日はとうに沈み格段に気温は下がっていて、それはもう底冷えするような寒さだった。
それでもオレ達はただ黙々と歩いた。


ホテルの、あの溜息の出るような部屋に入るなり、食材も放り出してオレ達はキスをした。
ベッドルームに行くことすらもどかしくて、リビングのソファに縺れるように倒れこんだ。
そこでもお互いを貪る様なキスをする。
頭が溶けそうだった。
ふと彼は顔を離してオレを見下ろしてから
「オレは今、無性にお前としたいんだけど、でもこれ以上近づくとお前がこれから先もオレの側にいないと悲しくなるし、悲しくならないためにもこれ以上はしたくないという気持ちがある」
と真面目な顔で言った。
彼自身も言葉がまとまらないようで、ひどくたどたどしい言い方だったが、オレは本能みたいなところで彼の言葉を受け止めた。
「うん、オレも今そんな気持ち。したいけど、したら絶対悲しくなるなー」
オレは続けた。
「そして絶対好きになる」
「ああ。きっと、オレも。」

全ては冬だったことがいけないのだと思う。
低すぎる温度も、吹き渡る風も、薄暗い街中も。
人生の岐路、とくに別れの選択を迫られている人間にとってはそれらは酷く気を滅入らせ、不必要に人の肌を恋しくさせる。
だから全てはそのせいなのだ。
だからこの感情も、その後に訪れるであろう悲しみも、全ては冬のせいであって、きっと雪が溶けるのと一緒に徐々に消えてゆくのだ。


「じゃあさ、お互いが楽しむっていうことにしようぜ」
オレは言った。
「男って即物的って言うじゃん?」
そしてやっぱり彼は真面目な顔で「いいのか?」と聞いてきた。
「もう聞くなよ。そんな追い詰め方して、オレのせいにするな」





それは酷くいやらしいセックスだった。
ずっと黙って、お互いの息する音しか聞こえないセックスだった。
無駄な音を一切排除して、全身全霊かけてお互いを感じようと必死だった。
彼は丁寧にオレの体に触れて少しずつ暴いていった。
そんな彼がたまらなく愛おしくなって、快楽とは違う涙が出そうになった。
―ああ、やっぱりダメかもしれない。
心の奥でそう思った。





その後、約束どおりオレが飯を作って後片付けをした。
相変わらず、美味い美味い、と言いながら彼は全部たいらげてくれた。

それからもう1回、今度はベッドでやった。
さっきのとは打って変わったじゃれ合いみたいなセックスで、いつものオレたちの延長線みたいな感じだった。
「肉じゃがも確かに食いたかったけど、それよりもずっと本当はこうやってくっついて寝たかったのかも」
眠りに落ちる前に彼はぽつりと言った。
波紋のようにその言葉はじんわりとオレの心に広がり、甘さと切なさでいっぱいになった。
「ディーノさん」
「うん?」
「やっぱイタリアには行かないよ、オレ」
「うん。…そんな気がしてた」
彼の声は先程と変わらぬ穏やかなままだった。
「あーあ。やっぱり悲しくなってきたぜ」
そう言いながらもやっぱり彼の声は変わらなかった。穏やかで、明るくて、優しくて、少しだけ切ない。
「あはは。オレもー。こんな好きなのにお別れなのな」
笑いながら温かな布団の中でぎゅっと抱き合うと、彼の体温と自分の体温がひとつになって心地良かった。
「お前はマフィアになるにはいいヤツすぎて、オレ達は遊びで寝るには良い子すぎたんだ」
ただそれだけだ。
そう言ってオレ達は眠りについた。ほんの少しの悲しみを抱えて。









卒業式が終わって、3月の終わり頃にツナと獄寺は慌しくイタリアに発った。
当面はイタリア語の習得に力を入れるということで、表面上ツナは留学生として向こうで独り暮らしをしながら語学学校に通うらしい。
彼らが行ってしまったことで、リボーンやランボ、ビアンキさん、シャマルのおっさん等もいなくなってしまい、急にオレの周りが静かになったような気がした。

オレはというと、推薦の話は蹴って、親父のもとで寿司職人の勉強を始めた。
朝、誰も起き出さないような時間から親父と共に市場へ行き、新鮮な魚を仕入れる。
店を開ければ、まだ寿司は握らせてもらえないので接客をして店内を駆け回る。
昔から時々手伝いをしていたこともあって接客にはすぐ慣れた。
客と話すのは楽しかったし、誰もがオレがこの竹寿司の暖簾を継ぐことを喜んで、そして応援してくれた。

何の不満もない幸せな毎日だ。
ただ、時々ふと思う。
まだ町全体が眠りの中にあって、朝靄がゆったりと流れるこんな朝なんか、特に。
人は必要な時に必要な人と出会う、と誰かが言った。
だとすれば、人の別れもまた必然なのだろうか。
あのとんでもなくドジで、とんでもないほど強く、とんでもないくらい人のいい彼と出会って、そして別れたことにも意味があったのだろうか。
もし、あの時、イタリアに行くことを決めたとしたら、どんな未来があったのだろうか。

そんな結論も出ないことを考える自分に苦笑いする。
隣で運転していた親父があざとくそんなオレを見つけて「なんだい。気持ちわりぃな」と言った。
だよなあ。マジでオレらしくねえよ。
そう思って笑う。

全ては大きな海にただゆらゆらと漂っているようなものなのだ。
時にそれらが出会い、また流されてばらばらになるように。
その流れの中には野球だとか、寿司だとか、ツナや獄寺との出会い、敵との対峙、そしてディーノとの密やかな想い出だとかいっぱいあるのだと思う。
所詮、どれも同じ水の中での巡りあわせなのだ。

だから、またきっと上手くいけば会えるだろう。
気まぐれな水の流れに乗って、同じ海の中で。









end