夜明け前
山本がもそりと動くと、安物のパイプベッドはギシリと鳴いた。
獄寺の、コンクリが打ちっ放しのひんやりとした薄暗い部屋に、その音は殊更大きく響いた。
「夜明けの気配がする」
山本が呟いた。
「あんま動くんじゃねーよ。落ちる。オレが。」
オレたちは今、シングルベッドに体をぎゅうぎゅうに詰めて寝ている。
いくらなんでも成長盛りの男が2人寝るにはそれはあまりにも狭い。
山本はオレの言ったことなんて耳に届いていないかのようにナチュラルに無視して、上半身を起こし目の前にある薄地のカーテンをちらりと捲った。
山本が起き上がったことによって掛け布団がずれ、肌に冷たい空気が触れてオレは思わず身震いした。
「バカ、寒みぃよ」
そう文句を言うと、頭上で山本が「悪い」と笑った。
捲られたカーテンの向こうはまだ暗く、街灯が煌々と灯っていたが、それでも確かに空は黒から青になりつつあった。
「オレ夜明けって好きなんだよなー」
山本は言った。
「ほら、オレ朝練あんだろ?ない時はバッティングセンター。その前にランニングしたりすんだけどよ、すっげーキレイなのな、空が。
暗い空の下の方がだんだん白くなって、それがゆっくり空全体に広がっていってさ。空気も冷たくて、ぴんって張った感じが気持ちよくって、どこまでも走れるぞー!って気分になる」
そんな超健康的な山本の話を聞きながら、オレは腕を精一杯伸ばして床に置いてあったタバコと灰皿を取った。
ベッドがまたギシリと大きな音をたてた。
「知ってるか?夜明けは囚人が処刑場に連れて行かれる時間なんだぜ」
タバコに火を点けながらそう言うと山本は嫌〜な顔をした。
「……お前なー。オレの話し聞いてた?すっげー爽やかな話してたよ?オレ。空気読もうぜ〜?」
「お前の空っぽの頭に1つ知識が増えたんだ。感謝しろよ野球バカ」
天井に向かって煙を吐く。
そんな知識いらねーし…と山本はブツブツ呟いてからオレの指からタバコを抜き取った。
「あ、テメ。何すんだよ、まだ吸い始めたばっかじゃねーか」
「寝タバコ禁止ー。」
ちょっとした仕返しのつもりなのだろうか。
山本は火を点けたばかりのそのタバコを灰皿に押し付けた。
オレの体に上半身を覆い被さるようにして、山本はタバコと灰皿を床に置いた。
ベッドは山本の体重移動に伴って音をたてる。
「乗るな!重いっつーの」
オレがそう言うと、山本は「お前いっつもオレに乗ってんだからたまにはオレが乗ったっていいだろ?」なんてことをさらりと言いやがった。
「アホか!冗談じゃねえよ!」
オレの腹に覆い被さったまま、山本はあっはっはと笑った。
それは実に少年らしい笑いだった。
部屋が薄暗くなくて、こんな会話じゃなくて、オレ達も裸じゃなくて、ベッドの上じゃなくて、夜明け前じゃなかったら、それは健全他ならぬ笑顔だった。
「なぁ獄寺」
さっきの位置のまま、山本が軽くオレを見上げた。
少年的な笑顔からすっと彼独特の笑顔に変わった。
あの、挑発的でいて艶めかしい、だけど背筋が寒くなるような笑顔。
何度この顔を見ても慣れることはない。
肌が粟立つ。
んだよ、と動揺を悟られないようにそっけなく返した。
「太陽が昇る中眠るっていうのもなかなか乙だと思うのな、オレ」
「ああ?何言ってんだテメー」
「まだそれまで時間あんだろ」
暗に山本が意味することは、この性質の悪い笑顔から気付いていた。
「お前部活あるんじゃねーのか、今日」
「あるけど、午後からだし。荷物取りには帰るけど、それでも11時くらいに起きれればいい」
「テメーの大好きな夜明けのランニングはしねーのかよ」
「んー…今日はいいや。それとも獄寺一緒に走ってくれる?」
「バーカ」
「やっぱり」
くつくつと笑う。
「お前ぜってー夜明けなんて見たことねーだろ。明け方近くまで起きてるくせに見ないで寝るタイプ」
「興味ねーし。っていうか勝手に決めつけんな」
「やっぱな!だから一緒にここから白む空見て、一緒に眠ろうぜ。たまには健全な朝の空気を吸えって」
オレの最後の言葉は先程と同様、ナチュラルに無視して山本は言った。
言ってることは健全なのだが、その健全さに向かう前にすることって何だよ。
「ヤろうって誘っといて何が健全だよバーカ」
「いいだろー?別に。運動して、いい空気吸って、眠って。間違いなくこれ超健全だろ」
山本はそう笑いながら、オレの腹から起き上がり、今度は寝転がっているオレを見下ろした。
今まで山本が引っ付いていた腹から熱が逃げ、代わりに少し冷たい空気が流れこんできた。
キシっとベッドが軋んだ。
オレはチッと舌打ちしてから山本の腕を強く引き、体勢を入れ替えた。
おわっ!と色気のない山本の声と、ベッドがその衝撃で有り得ないくらい大きな音で鳴いたのが同時に聞こえた。
「寝坊しても知らねーぞ」
山本を見下ろして言う。
「えーそれは困るな。携帯のアラームで起きれるかな」
さして困っていなさそうに山本は言った。
「腰たたなくなっても知らねーぞ」
「あ、それはマジ困る」
オレはにやりと笑って山本の首筋にキスをした。
外はまだ暗く、街灯は煌々と灯っている。
けれどゆっくりと、だけど着実に空の色は変わり始めた。
もうすぐ囚人達の夜明けでもなく、独りで走る夜明けでもない朝が来る。
end.